2008年11月11日

装幀という仕事 貝原浩--横山豊子 2008年11月中旬号

kbs081102_01.jpg『自然食通信』創刊0号 1981年kbs081102_02.jpg
『自然食通信』創刊0号 特集予告


kbs081102_03.jpg『自然食通信』4号kbs081102_04.jpg『百姓になるための手引』1986年

kbs081102_05.jpg『いのちにやさしいお産』初版1996年kbs081102_06.jpg『しょうがい児の母親もバリアフリー』1999年


横山豊子(自然食通信社)
 1981年 4月の創刊を目指し準備を進めていた雑誌『自然食通信』のエディトルアル・デザインを頼みに行ったのが、貝原氏との初めての出会いだった。えらの張った顔、濃い眉、人を射抜くような大きな眼。こちらがやや緊張しつつ雑誌の趣旨や全体のイメージをぎこちなく説明するのをそれほど身を入れるでもない様子で聞いていた彼がいきなり、「創刊0(ゼロ)号を出そう」と言ったのには驚かされた。
 しばらくして出てきた0号の表紙デザインは端正な仕上がりだったが、表紙をめくり見開きの特集予告をみて目を瞠った。新鮮で大胆なレイアウトと誌面から飛び出してきそうなイラストのパワーに圧倒されながら、デザイナーの心意気に応えなくてはと創刊への気力充実を期したことを思い出す。
 幸い〝3号雑誌〟とならずに15年半、貝原氏の装丁とともに73号の終刊号まで続けられたのは、「正義」を振りかざしがちになる記事に、しばしばつっこみが入る彼のシニカルで複眼的なイラストに大いに助けられたと思っている。
 特に、既得権に胡坐をかき、強いものが勝つのはあたりまえと嘯く者たちを鋭く揶揄する独特のイラストは、市民運動グループのポスターやチラシへと広がり、全国を駆け巡っていった。またさまざまなミニコミ紙誌などにもイラストは勝手に転載され、一人歩きしていったのだが、腹を立てるでもなく、旅先で親しそうに話しかけられたりするよと面映気に話す素顔が印象深く残っている。

2008年10月15日

OpenOffice.org 3.0正式版

http://ja.openoffice.org/
OpenOffice3.0がリリースになりましたが、最大のメリットはMS Office2007系の文書ファイルdocx,docm等の拡張子の文章が開けるようになったことです。
最近パソコンを導入・交換した際、プリインストールは大体2007だと思いますが、そのためそのままその文章を原稿として送ってくださる方々が徐々に増えつつあります。
自社も文章の作業やAccess2000などを使っているため、Officeは2000どまりです。
そのため最近リプレースしたPC以外は取扱えないでおりましたが、とりあえずファイルを開いて原稿としてコピーして入稿用にレイアウトやテキスト化するには支障なく。
ただしレイアウトをキッチリ作ってあるもの、外字・OS異存の文字などは崩れを起こしたり化けたりなど以前のバージョンと変わらずの様子ですが、代替ツールとしてはなかなか使えそうです。

2008年10月11日

装幀という仕事 貝原浩--高二三 2008年10月中旬号


kbs081002_01.jpg『済州島現代史』2005年
kbs081002_02.jpg『一冊まるごと在日朝鮮人』1990年


kbs081002_03.jpg『キム・ミンギ』1987年
kbs081002_04.jpg『済州島四・三蜂起』1988年


kbs081002_05.jpg『順伊おばさん』2001年
kbs081002_06.jpg『越境する民』2001年


高二三(新幹社代表)
 明石書店の編集部にいた時、貝原浩さんと知り合い、気が合いました。一九八七年に新幹社を始めた時、貝原浩さんを訪ね、平野甲賀さんと晶文社の本の話をしながら、以降、新幹社の本は、原則、貝原浩さんに装丁していただくことになりました。約一五〇点です。
 出版の前に貝原浩さんを訪ね、酒を呑みながら、本の内容を伝えます。年に数回は朝帰りになりました。書名がちがうように、デザインもそれぞれちがうのですが、遠目で見ても新幹社の本とわかる、それが私の希望でした。それを貝原浩さんに託したわけです。
 中でも気に入った本を紹介します。『済州島四・三蜂起』、これは貝原浩さんが色校正を見た後、デザインにメリハリをつけるためにフィルムをカッターで削りながら完成させたものです。背が、左に2ミリぐらい斜めになっていて製本所がどうしたらよいかと指示を仰いできました。初期の作品の中では『キム・ミンギ』『一冊まるごと在日朝鮮人』がいい作品だと思います。貝原浩さんの気もぎゅっと込められています。
 中期の作品で印象深いのは『順伊(スニ)おばさん』『越境する民』です。『順伊おばさん』の訳者・金石範さんはいつも田村義也さんの装丁で本を出します。田村さんへのつよい対抗意識の中での作品で、貝原浩さんの負けず嫌いが集約されています。最後の装丁が『済州島現代史』になりました。済州島の海や山や空が貝原浩さんにこのように残っていたのだなと、縁を改めて思います。

2008年9月11日

装幀という仕事 貝原浩--佐藤文明 2008年9月中旬号

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左上から『戸籍がつくる差別』1984年刊(新装版は1995年)、『ひとさし指の自由』(社会評論社)1984年(新装版は1985年)、『戸籍』(現代書館)1981年刊、『戸籍うらがえ史考』(明石書店)1988年

佐藤文明(評論家)
 戸籍の仕組みを疑い、新宿区役所(戸籍係)を辞めたのは一九七二年。「いつか戸籍の問題を世に問わねば」と、使命感を抱きながらも、伝え方の難しさに直面。途方に暮れてほぼ一〇年。現代書館から「ビギナーズシリーズで書いてみないか」と誘われたのはそんなときでした。イラストで伝える思想書として話題のシリーズ。「これならいけるかもしれない」と直感しました。もちろん、ナイスなイラストレーターと出会えれば、の話です。
 貝原浩、ぼくは彼の画才にも感嘆しましたが、それ以上に驚嘆させられたのが物事を把握する直観力のすごさ。『戸籍』は文章に絵をつけた本ではありません。ぼくらはおなじ場所でジャズ・セッションのように文と絵をキャッチボールしつつ、作品を作り上げた。
 幸せな経験でした。本は評判を呼び、戸籍の問題点を広く訴える成果を挙げます。『戸籍』の装丁は貝原ではないが、彼のイラストがそのまま使われているので印象的な表紙になっています。彼の装丁本としては『戸籍がつくる差別』『戸籍うらがえ史考』です。前者は運動と結ばれて版を重ね、新装版が出ました。問題の深さ厳しさをまず訴え、読者を獲得した新装版の装丁では広がりを持たせています。同様の装丁が『ひとさし指の自由』です。編集委員会編の本ですが、当方の編著。指紋押捺拒否運動のバイブルとして版を重ねます。新装版を含め装丁者は彼。ぼくらは運動を通じてもセッションしていたのです。

2008年7月11日

装幀という仕事 貝原浩--名取弘文 2008年7月中旬号

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左上から『おもしろ学校開校記念日』(有斐閣)1984年刊、『教室から世界へ飛びたとう』(筑摩書房)1987年刊、『こどものけんり』(雲母書房)1996年刊、『教師という快楽』(雲母書房)1997年刊、『ナトセンのこれが教師だ』(雲母書房)2005年刊

名取弘文(おもしろ学校理事長・元小学校教員)
 小学校の教員になり、五段階相対評価はおかしい。知能テストは差別的だなどの闘いを展開していたのですが、校庭の隅に畑を作ってキュウリやトマトを育てているうちに、モノ作りをもとにした授業がおもしろそうだと気付きました。そこで家庭科の専科の教員になったのですが、これにハマりました。
 この授業の記録を「おもしろ学校」のシリーズとして出版するのですが、画伯と呼ばれていて、いつも陽気な酒を呑んでいる貝原に装幀をお願いしたのです。できてきたのが『おもしろ学校開校記念日』。校舎の屋根に乗り、皿と箸を持って踊っている絵です。私の似顔もそっくり。教育書というと、くそまじめ、りくつだらけ、つまらないが相場ですが、「おもしろ学校」シリーズは、軽はずみ、オリジナル、受けがいい。ぴったりの装幀です。
 『教室から世界へ飛びたとう』では色彩がおちついていますが、こどもの表情がいきいきしてて、これもいい。貝原の字も味がある。
 『こどものけんり』は明るい色で踊っているこどもがおおぜい。こどもの世界はこうであって欲しいと貝原も望んでいるのです。『教師という快楽』で泣いているのはご幼少の頃の画伯でしょう。『ナトセンのこれが教師だ』は一変して、幾何学的なデザインで渋い。(最後の仕事になってしまった!)
 打合せや注文は一度もしなかったのに、私の言いたいことをピタリと描いてくれました。

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