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装幀という仕事 貝原浩--松田健二 2009年4月中旬号

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松田健二(社会評論社代表)
 貝原浩画伯と最初に会ったのはいつごろだろう。近所の出版社・風濤社で高橋行雄さんに紹介されたのは記憶している。聞けば、芸大出身で、相撲部だったとのこと。収入の安定している某新聞社の定期的仕事を断って、好みの仕事しかしないという紹介だった。
 さらに聞けば、父上が倉敷市水島にある第四福田小学校(四福)の校長を務めていたとのこと。四福こそ私の卒業した小学校だ。それ以来、貝原浩画伯との交流がはじまった。
 一九七九年十月、いいだもも氏をはじめ、多くの方の協力をえて、「歴史・文化・理論」という副題をもつ季刊雑誌『クライシス』を刊行しはじめた。
 一九九〇年一月に四〇号を刊行して終刊となった。現在の方がはるかにクライシス(危機)状況であり、クライシスというには、少し早すぎたのか。同誌の第九号(八一年秋、特集・次は何か「昭和」の総括)から、二五号(八六年冬、特集・「ハッピー・ニッポン」のウラおもて)まで、装幀をしてもらった。特集名を聞いただけで、ピッタリとした絵を描きあげる感性には、舌をまいた。
 単行本の装幀では、八三年七月に刊行した池田浩士表現論集『ふぁっしょファッション』が、一番記憶に残っている。
 そして、なによりも貝原画伯が小社に残してくれた宝は、漫文・漫画『ショーは終っテンノー』(貝原浩偏画)、昭和天皇のゲケツ報道と同時に企画し、八八年十月に刊行した。